どれを取ってもつらい思いをするとわかっている選択肢から、どれかを選ばなくてはならない…
- 経済的に心配だけど、仲の悪い親と離れてもといた街に戻る
- 親とは仲が悪いが、なんとかこの家でしばらくくらしてお金を貯める
- 親が激怒するかもしれないが、この町の市営住宅に引っ越す
3がいいと思うんです。
この町で、別々に暮らす。親だって、その方が本当はいいはずなんです。一緒に暮らしてお互いにストレスをためることはなく、でもいざという時には近くにいるというのは、一番いいはずなんです。
でも、同じ家に住んでいたのに、まるで親子仲が悪いみたいに(実際悪いんですが)、まるで親と暮らして何かつらいことがあったみたいに(実際つらいことだらけですが)、私と子供が親の家を出るのは、世間体が悪いと、父が考えそうなんですよね。
父は、周囲の人に「立派で人格の高い人」と思われていなくては気が済まないので、私が家を出て、同じ町内に住むことは耐え難いんじゃないかと。
よく母が「お父さんの顔にどろを塗るようなことをするな」と言います。
どんなことをするとお父さんの顔に泥を塗ることになるのか、私はよくわかりません。離婚して帰ってきたこと自体が、そうなのかもしれません。
私が町内にある市営住宅に引っ越す(引っ越すためには父に連帯保証人になってもらう必要もあります)と言い出したら、また烈火のように怒り出さないとも限らないんです。
こんな時に、たまたま井上ひさしの「四十一番の少年」という本を読んでしまいました。
父を亡くし、母の仕事がうまくいかず、孤児院で暮らしている少年が主人公の短編集です。
孤児院で年上のルームメイトに、毎日ひどい暴力をふるわれたあげく、犯罪の手伝いをさせられる話とか。住み込みで働いている弟を訪ねようとしたら、寒空の下冷たい水でネギを洗っている姿を見て声をかけることができなかった話とか。孤児院から出て、遠方のおばあさんを頼ろうとしたが、その家も苦しい事情があると知り、孤児院に帰る話とか…
いや、こういうのを、自分の子供にリアルにあてはめて考える状況に、自分がなっているということが驚きです。
この本を読んで、経済的にギリギリな状態で、無理をして、もといた街に戻ることは危険だと思うようになりました。この前までは、無理をしてでも、離婚前に住んでいた町に子供と二人で戻ろうと思っていたんです。
生活費の計算をすると、ギリギリやっていけそうかなと思ったんですよね。
でも、私が怪我や病気で働けなくなったらどうなるんだろうと、この本を読んで考え、恐ろしくなりました。
両親と仲が悪いので、いろいろとイヤな思いはしますが、「子供と二人で暮らすお金がない」という恐怖だけは、この家にいれば味わう心配はありません。
今のところ、最初に書いた3つの選択肢のうちの2が、少しだけ有力となっています。
でも夕食後6時半にはもう静かにしていないといけなくて、子供とはひそひそ声でしか話せないし、食卓にイチゴがあってもお刺身があっても、私は食べてはいけないというのが暗黙の了解で。
それに、両親が、私たちがここに住んでいてほしいと思っているのか、早く出て行ってほしいと思っているのか、よくわからないんですよね。
「こちらにはお前の世話になる必要は全くないが、文句を言わず、私たちを尊敬して感謝してよく仕えるならおいてやってもいい」
どうも、そう思っているんじゃないだろうかという気がしなくもないんですが。
そして私たちは、この家を出ていけない状況にあると思っているのかな、たぶん。もといた街に戻りたくても、そのためのお金がないだろう、と。
だから、あとは自分たちの方が立場が上なのだということを、私にしっかりと理解させるだけだと思っているのかもしれませんね。うん。なんだかそんな感じです。
もといた街には、もと夫も住んでいます。もと夫とは完全に縁を切るようにとは、父から何度も言われてます。もと夫を頼ってもといた街に戻ることは許さないと言いたいのでしょう。
ちなみに子供の前で、もと夫(=子供の父親)の悪口を言う、というのは、虐待の一種とみなされ、同居できない大きな理由となるようです。市営住宅の審査なんかで。
でも、まあそれぐらいです。殴られたり、毎日暴言を吐かれたりすることはないので、恵まれているのでしょうか。
実の親でこれなので、義理の親や、親戚の厄介になるというのは、場合によってはとてもつらいことなのでしょうね。
ましてや、施設で全くの他人の世話になるというのは、想像もつかないつらさがあるのだろうなと思います。